東浩章さん | くらす はたらく いちはら

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あえて、都会から適度に離れた市原市に移住して暮らす東浩章さん

この家に、竹細工職人の東さん(あずまさん)夫婦が越してきたのは、一年前の春。そこから持ち主の方の家財道具を整理したり、傷んだ箇所を修復したり、一年かけて生活空間を整えていったんだそうです。

東浩章さん(あずま・ひろあきさん、以下、東さん)は、竹の産地でもある大分から、製材された竹を仕入れ、朝生原という南いちはらの端に位置する住居兼工房「ヒガシ竹工所」で竹籠を製作しています。出来上がった製品は、東京のクラフトショップに卸すほか、各地で開催されるクラフトフェアにも出品しているんだそう。

シンプルで美しい竹の籠。ネット販売はなく、イベントやクラフトショップで購入することができます。

東さん 竹のいいところは、どこにでも生えていて、誰でもコツがわかれば加工することができる、そういうオープンなところです。


そう言いながら竹鉈を使ってあっという間に竹かごをつくるところを見せてくれた東さん。ひとつの竹鉈さえあれば、大抵のものはつくれてしまうんだとか。

昔の人は、農閑期になると竹を使ってかごをつくっていたように、竹は生活に密着した身近な存在でした。東さんが竹細工を学んだ大分県別府は、そういった竹細工の産地であると同時に、良質な竹を育て製材する仕組みが整う場所。

竹細工用の竹を育てる竹林や、切り出した竹を油抜きするための窯場、それらを業とする職人もおり、そこら中に生える厄介者ではなく、竹を素材として活用し、生業にすることができる、そういった環境が整っていたそう。

そんな竹細工に適した環境が整っていた大分県別府から、わざわざ竹を製材する技術や仕組みが整っていないこの地域を選んだのには、理由があったのでしょうか。

東さん 東京との距離が、面白かったんです。ウィリアム・モリス(注1)が別荘を設けたケルムスコットや、バウハウス(注2)があったヴァイマールなど、それぞれがロンドンやベルリンなどの都市部から距離を置いたように、自分も都市である東京から程よい距離感のところに拠点を構えたいと思ったんです。

注1)英国の思想家、詩人であり近代デザイン史上に大きな影響を与えた。“芸術と仕事、そして日常生活の統合”という理念を掲げた「ア-ツ・アンド・クラフツ運動」を始めた人物として知られる。
注2)1919年、ドイツのヴァイマールに設立された、総合的造形教育機関。


バウハウスのあったヴァイマールからベルリンまでの距離と、朝生原から東京までの距離が、ちょうど同じくらいだと東さんは教えてくれた東さん。その“ちょうどよさ”に惹かれて市原に移住を決めたんだそう。

川漁で使う仕掛けかごや、自然薯を入れるかごなど、生活のあらゆるところで竹を使用した道具が使われ、暮らしの道具をつくるための素材として重宝されてきましたが、市原ではそういった風習も、あまり残っていません。

そのため、今は大分の竹を使って道具をつくる東さんですが、「いつかこの地域でとれる竹を使いたい」 と話します。

東京からあえて適度な距離をおき、職と住が一体となった暮らし方を実践する。職と住の分離が当たり前になってしまった今、東さんの働き方や暮らし方には、これからを考えるヒントがありそうです。