平野陽太さん | くらす はたらく いちはら

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よくばりだから、千葉が最適!地元東京を離れ、市原へたどりついたワケ平野陽太さん

あなたの住んでいる場所は、生まれ育った地元でしょうか?
それとも、まったく縁もゆかりもない、地元から遠く離れた場所でしょうか。

自分の生まれ育った地域を離れる理由は、進学や就職、結婚、新天地を求めてなど、ひとそれぞれ。そんななか、平野陽太さん(ひらの・ようた、以下、平野さん)は、「よくばりな自分にとって、千葉が最高におもしろい!」と、地元東京を離れ、南いちはらを中心にさまざまな活動に取り組んでいます。

今回は、大学を卒業後、南いちはらで走り回ってきた平野さんに、南いちはらでの活動や、魅力についてたっぷりお話を伺いました。 取材日 2022.01.24/文・写真 Mizuno Atsumi

社会科の先生になるつもりだった。
でも、それよりも面白いことが南いちはらには眠っていた。

今年、2022年春から千葉大学の大学院生になった平野さん。もともとは、千葉大学で社会科の教師になるための勉強をしていたんだそうです。

平野さん 歴史が好きだったので、大学で歴史を研究していました。その学びを職業にも活かしたいと思って、社会科の教師を目指そうと考えて。でもそのとき、「社会の先生って、なにをやっている人なんだろう?」と疑問に思ったんです。

数学の先生だったら、数学が得意。英語の先生だったら、英語がペラペラ。じゃあ、社会の先生ってなにができるのかなと思って、大学3年生くらいの頃から、海外に行ってボランティアをしたり、農家さんに行ってみたり、災害支援に携わったり、いろいろ動いてみたんです。

農家さんにお邪魔した時の一枚。弾ける笑顔が印象的です。

そのなかで出会ったのが、地方創生を目指す千葉大発のベンチャー企業「株式会社ミライノラボ」。このミライノラボが取り組んでいた「牛久商店街の活性化プロジェクト」に参加したのが、平野さんが南いちはらを中心に活動を広げるきっかけとなりました。

里山の広がる南いちはらに位置する牛久商店街。房総里山トロッコの中継地点としても知られていますが、商店街へ足を運ぶと、シャッターの降りたお店も目立ちます。

その後も定期的に牛久商店街の活性化プロジェクトには関わっていましたが、地域の活動に主軸を置く予定はなく、大学卒業後は社会科の教師を目指して、大学院で地理や政治経済の知識を身につけるつもりだった平野さん。

ただ、大学院へ行くお金を貯めながら社会経験を積むため、大学卒業後すぐに大学院へ進学するのではなく、2年間のギャップイヤー(*)を設けることにしたんだそう。それが、今の平野さんにつながる大きな転機となりました。

(*)大学への入学前、在学中、卒業後に就職するまでなどの時期に、留学やインターンシップ、ボランティアなどの社会体験活動を行うための猶予期間。

平野さん 最初は、大学院で社会科教育の研究をする予定だったんです。このときは、自分の中では教育が主で、地域が従。でも、2年間地域活性化にどっぷり関わっていくにつれて、「地域課題を解決するために、教育というアプローチでなにができるのか?」と、地域が主、教育が従になっていきました。

南いちはらのような里山地域に行くと、昔から住んでいる人に「ここは、なんもない」って言われる。でも、東京にいる身からすると、なにもないって言ってるのがありえない!一日すっげー楽しくまちを回れて、しかもまだまだ楽しそうなところがいっぱいあるのに、なんでそんなこというの?って。そこが、僕としては一番不思議で。

魅力がたくさんあるのに、地元の人が地域になにもないと思っているのはもったいないし、教育からアプローチすることで、このギャップを埋められるんじゃないかなと思って、地域に関わっています。

地域の人とつながりながら活動フィールドを広げていくために、週末の市場でタコを売るお手伝いをするなど、行動力が抜群です。

「面白い」が原動力

今後は、この「地域✕教育」というアプローチをかたちにしていきたいと考えている平野さん。大学院では、地域での学びが学生に与える影響などについて研究しながら、学術的な裏付けをつくっていきたいのだそう。

またそれと並行し、これまでどおり南いちはらを中心に活動しながら、ローカルに動く人として実績を積んだり、地域の人とコネクションをつくりながら、自分がこれから取り組みたいことについてアピールしていきたいと言います。

「教育」と言いつつ、正しいことを教えられないので、学生と一緒に考えながら進んでいくスタンスでありたいんだそう。

でも、そもそも平野さんにとって、千葉という自分に縁のない地域で活動する原動力はどこにあるのでしょうか。

平野さん シンプルに、面白いからですね(笑)東京だと余白がない。だいたい大企業がやれることをやってて、森で言ったら、でっかい木がいっぱいあって光が差してこないみたいな。

でも、それこそローカルエリアの長所だと思うんですけど、未熟なのか衰退しているのかはさておき、余白がいっぱいあるなって。なにかやりたいと思ってから実行するまでが、大都市と比べて簡単なんじゃないかと感じます。

東京では、別に僕が求められていると感じることはないですけど、市原にいたら、いろんな人から「これ、一緒にやらない?あれ一緒にやろうよ。」と声をかけてもらえる。

自分が新しいことを企めそうな課題や余白もたくさんあって、しかも、海も山もあって、都市部もあれば、里山地域もある。最高じゃないですか?

と、こちらもワクワクしてくるようなイキイキとした表情で話す平野さん。

まちの見方が変わっていく瞬間が一番楽しいし、教育を地域でやるとしたら、自分がこれまで経験してきたように、そうやってまちの見方が変わっていくような体験を若い人たちと一緒にしていきたいと思っているんだそう。

知らないまちを1人で歩いていたら、つまらないと感じるかもしれない。でも、知識があったら、同じまちを歩いてても楽しくなる。「あ、ここってこういうのが盛んなんだよね。名物なんだよね。」と知っていたらまちをもっと楽しめるようになるし、そのまちに友達がいたら、もっと楽しくなる。

そんなふうに、まちの解像度が変わっていく経験を共有する仕組みを教育というアプローチでつくっていくのが、平野さんの今の目標です。

牛久商店街でさまざまな活動に取り組んできた平野さん。商店街のおじちゃんやおばちゃんとすっかり顔見知りになり、今では商店街仲間の飲み会へお誘いいただくことも!牛久へ訪れるたび、「今日は〇〇さんに会いに行こう」と思えるのも楽しいんだそう。

平野さん まちが楽しめる経験をすると、そのまちの風景がなくなっていくことを嫌だなって思うじゃないですか。それを地域に住んでいる若い人や子どもたちが感じられることが、これからのまちにとってすごく大事なことなのかなと思います。

自分の地元とは離れた地域で、居場所とやりたいことを見つけ、日々充実しているように見える平野さん。とはいえ、大変なこともあるのではと聞いてみると、「うーん?ないっすね!」とキッパリ。

平野さん 僕、めちゃくちゃ運がいいんですよ。あと、めちゃくちゃ人に恵まれてる。

だから、「なんかこういうのしたい」と思ったら一緒にやってくれる人が現れたり、「こういうのいいな」と思ってたら、手伝ってくれる人がいたり。本当に頭が下がる思いなんですけど、運と人と機会に恵まれてて。

だから、人間的には浅いかもしれない(笑)

「最近身につけたいことは、影分身ですね(笑)大学で働いてる僕と、畑に行っている僕と、商店街に行ってる僕と、本を読んでる僕と、休んでる僕とが順番で交代。」と話すほど多忙ですが、それを感じさせないパワフルさです。

インタビュー中、終始ニコニコと自分の活動について話してくれた平野さん。そんな風に義務感ではなく、自分が心から楽しんで行動し続けている平野さんだからこそ、一緒に面白がって活動してくれる人と出会えるのではと感じました。

「すべきこと」ではなく、「やってみたいこと」。自分の心が向く方に突っ走ってみると、意外とそれを支えてくれる仲間と出会いながら進んでいけるのかもしれません。

まずは、自分が心に描いていることを知り、言葉にして周りに伝えていく。私もそこから始めてみようと思いました。